2006.9.17

 『鍛える国語教室』空知ゼミ第10回例会報告

9月30日(金)6時30分,視聴覚室で「鍛える国語教室」研究会空知ゼミ第9回例会を実施しました。今回は30名で学び合うことができました。お忙しい中御参加戴いた皆様,心から感謝申し上げます。次回もお待ちしております。

この学習会は教師が授業の腕を磨くために行っている会です。そこへお子様や保護者の方に多く御参加戴いております。

授業の腕を磨くために行っている会なので,お子様や保護者の方へ授業をさせて戴けるのは有難いことです。

以下,概要です。

 

□柳谷直明の作文授業

作文ワークを開発している。今回は「物語マスターカード」で授業した。授業の流れはこうである。

作文例を私が読む。この導入でひきつけることができる。

「むかしむかしあるところに,ようかいがすんでいました。……。」

「皆さんも,このような物語を書きたいでしょう。誰でも簡単に書けるからね。」

こう言って「物語マスターカード」を配布する。メモの例を作文の例を全員で音読する。

「物語を書くには,何が必要か。」

メモ例に書いてある「場面,主人公,事件」を板書する。

「では視写しよう。低学年は1分間で2行,高学年は1分間で3行いけばよい。書き出しを一ます空ける。始め。」

ゼミ例会に参加している小学生は,どんどん書く。ものすごく速くなっている。

「では,自分の物語を書く。裏にする。ラベル欄に場面と書く。いつ,どこ,誰かを決める。」

「主人公を決める。人間でも動物でもよい。人の名前でもよいが,書かれた人が嫌がることは書かない。」

「事件を決める。どんな事件でもよい。大きな事件でも小さな事件でもよい。」

 こうしてメモを書かせた。その後作文を書かせた。近くの人と読み合わせ,感想交流をさせた。

□冨樫忠浩先生の助詞の授業 

「文には基本の骨組みがある。/何がどうする。何がどうだ。何が何だ。」

このように文の定型を指導するのには大賛成である。ただし文の指導は難しい。例えば冨樫先生が示した「基本の骨組み」とは何か。鈴木真喜男/長尾勇『新編 国語要説』(学芸図書,1979年,50ページ)の「文の構造」にこうある。

 

以上に述べたことをまとめてみると,文節相互の関係は,次の四つになる。

(1)主語・述語の関係 (2)修飾・被修飾の関係 (3)対等の関係 (4)独立語

 

今回は(1)が扱われたことになる。つまり「基本の骨組み」は(1)の文節相互の関係だとなる。

そこで「主語・述語の関係」を見る。中学校の教科書を見ると次の4つの述語が書いてある。

「どうする/どうである/何だ/いる・ある」

杉崎一雄『国語法概説』(有精堂出版,1968年,17ページ)にはこうある。(傍点ママ)

 

『何が』に当たる文節を主語、『何だ』『どうする』『どんなだ』に当たる文節を述語という。(中略,柳谷)主語は、

一文の主題を表わす文節であり、述語は、それについて述べたり、説明したりする文節である。右の文例には、すべ

て「が」のついたものを出しておいたが、「 咲く」「花は 咲く」「春や とき,花や おそき」のように、「何が」

に当たる位置にあって、その役目をも果していれば主語である。

 

『新編 国語要説』(前掲,48ページ)にはこうある。(以下原文のママ,引用。)

 

(1)何々が どうする(しない)。=動作について述べる。

何々が ある(ない)。=存在について述べる。

雨が 降る。

本が ある。

(2)何々が どんなだ(でない)。=状態について述べる。

        本が 面白い。

(3)何々が 何だ(でない)。=事物について述べる。

        これが 源氏物語だ。

 

(1)は動作・存在なので動詞の述語と考えてよいだろう。(2)は性質・状態を意味する形容詞・形容動詞の述語と考えてよいだろう。(3)は「だ」「です」「らしい」などの助動詞を用いた述語である。(助動詞は動詞だけにつくものと種々の語につくものがある。これは後者である。)

 冨樫先生が指導したように「主語・述語の関係」はこの3種類だと考えてよいだろう。

文とは何かも考えておきたい。次の定義はわかりやすい。(前掲,杉崎一雄,9ページ。)

「文とは、まとまった思想を表わす一続きのことばで、その終りで音がかならず切れるものである。」

 だから「犬!」も文である。では「犬!」は主語か述語か。そこで「犬!」の文を先の3つに分類してみる。

(1)犬が来た。犬がいる。(2)犬が恐ろしい。(3)これが犬だ。

この分類だと(1)(2)は「犬が」が主語で,(3)は「犬が」が述語である。

このように「犬!」は大きく3つの意味に別れることになる。つまり「犬!」は文ではあるが,これだけだと主語か述語かを確定できない。「話し手と聞き手の相互交渉が生み出す意味」(『語用論入門』研究社)は「語用論」の分野なので,その教材化が考えられる。

「文」の構造の一つとして「主語・述語の関係」を冨樫先生は扱った。

冨樫先生は更に次の例文で授業を進めた。

「山田君が食べた。先生が行った。ロケットが出発した。」

そして,それぞれに「パンを」,「焼肉屋へ」,「月へ」を入れて詳しく限定させた。

ここで「文の構造」の2つ目として「修飾・被修飾の関係」を指導してもよいだろう。

「まほうつかい 太郎さん 王様 変えた。」

この空いているところに助詞を入れて意味が変わるという指導を行った。助詞を変えることにより,文の意味が変わるという授業である。楽しい授業だった。

問題は形成学力が何かである。この助詞を入れ替える活動で,他の活動にどう生かすことができるかだ。

「が」を使った場合,「は」を使った場合,「も」を使った場合,読点を入れた場合(助詞と限定したのかもしれないが,例えば読点を入れることもできる。「まほうつかい,太郎さんの王様を変えた。」),「を」「に」「と」「から」などなど多くの助詞が考えられる。このようなものが助詞であるともっと多くの助詞を書かせてもおもしろいだろう。

□大谷和明先生の読書感想文の授業 

『てぶくろをかいに』を使って読書感想文を書かせる授業だった。その際,引用を使わせる。

『てぶくろをかいに』を大谷先生が読み聞かせた。感想を一言で書かせた。その根拠を原文から決めさせ,下線を引かせた。そして下線部分を引用させて感想文を書かせた。その後,感想文例を与えて引用をさせた。

大谷先生は地の文に引用を書かせる方法を指導した。引用をきちんと指導する必要があることは宇佐美寛先生が仰られている。このような引用を使った作文指導が今後重要である。

私は改行して引用を書く方法を子供達に指導している。改行する場合,地の文に書く場合をそれぞれ指導したい。

保護者から6年生のテストについて御質問を戴いた。

「れる・られる」の使い分けがわからないということだった。

「れる」は五段活用の未然形とサ行変格活用の未然形「さ」につく。(「あ行」に続く。)「られる」はそれ以外の動詞の未然形につく。意味は次の4つである。自発,可能,受身,尊敬。自発と受身が混乱しやすい。「自発」は「自然に起こること。」(広辞苑)である。「感じ方のちがいに気づかされる。」は受身と解答にあるようだが,果たしてそうだろうか。