「学習用語」の行為化例

鍛国研(「鍛える国語教室」研究会)主宰 野口芳宏 


 さて,国語はどうでしょうか。

 

「今日は何を勉強してきたの?」

「『ごんぎつね』だよ。」

「あら昨日も『ごんぎつね』じゃない。おとつい聞いたらやっぱり『ごんぎつね』って言ったじゃない。」

「だって『ごんぎつね』だもん。」

 

 これでは,付けた学力が見えないのです。「今日は約分を習ったよ。」,「今日は通分を習ったよ。」。このように算数科では,学校で付けて貰った学力を子どもが自覚して,それを言葉で話してお母さんに説明出来るのです。国語は『ごんぎつね』しか説明出来ないですね。

そこで今日は模擬授業の中で「学習用語」,「ここではこういう言葉を教えるんだ」という提案がありました。例えばこうなるとよいのです。

 

「『ごんぎつね』で今日は主人公という言葉を教わった。それから,『こっそり中へ入りました。』の『こっそり』というのは修飾語で,修飾語には大抵,その人の気持ちが入っている。なぜ『こっそり』なのかと,修飾語の理由を考えると気持ちが分かるというということを教わった。」

 

こういうことを子どもが家の人に説明出来るようになれば,国語の学力は目に見えるのです。私は「見える学力・使える技術」というコピーを作っています。今までの国語の授業は見えない,身に付けられた学力が見えない,見えない学力なのです。

そこで技術を教えられたのかもしれないけれど,全然使いものにならないのです。だから6年生になっても,ろくな話し方が出来ない,ろくな読み方が出来ないのです。そこで,口形,速度,間,こういう「学習用語」をきちっと教えるのです。

 

「お前は口形が悪い。お前は間の取り方が悪い。それをきちっと直して貰えば,音読してもずっと上手になる。」

 

このように,学力を分析的に用語としてきちんと把握させる。これが「学習用語」の行為化という考え方です。

学習用語は算数や理科や社会科は当の昔に整理されて,指導要領にも何年生でこういう言葉ということが配列されています。国語には,題名と作者と段落くらいしかないのです。殆ど他の用語は明示されていません。そこで現場の我々が「ここでこういう言葉を教えておくと,やがてきっと役に立つだろう」と思われる思い付きの言葉をやたらに教えていきましょう。当分はゲリラ的にやっていくしかないでしょう。

そういうことを私は申し上げています。

だから今日提案された「学習用語」も,書いた人の考え方です。果たしてこの「学習用語」がその学年にふさわしいのかという質問には答えられません。提案されていないのですから。

ただし,そういうことを考えている人は少ないですから,こう反論すればよいのです。「もし不適切としたら,どう変えたらいいでしょうか。そして3年生にはどういう学習用語が考えられますか」。恐らく,文句を言うことは出来ても,対案を示すことは出来ないでしょう。未開拓の分野だから,そういうことになるのです。

ただ主張としては,国語科教育がこれから改善の方向を辿るとすれば,この方向はまず間違いはないというふうに私は考えています。

 

 「国語科全領域で指導する学習用語を明示した教材及びその指導法の具体的な提案」です。観念論ではないのです。「こういうふうにやったらどうか」ということであります。

 ですから今日は,国語科教育の考え方としては,かなり先端的なテーマを取り挙げて一日を過ごすという勉強会です。初歩の人に「こうやってやればいいですよ」と教える伝達講習的なものではないのです。

みんなで知恵を出し合って,よりよい国語科教育の改革前進のための勉強会というふうに把握して戴けると有難いと思います。

2007年2月日(土)第9回国語修業講(札幌会場)札幌ホテルユニオンにて。