2006年8月6日UP 

 8月31日(木)
 明日,9月1日は2学期最初の空知ゼミ例会(国語学習会)

 今学期も国語学習会を実施する。明日は宮沢賢治で授業づくりを行う。夏休みに賢治記念館へ行ってきた感動を忘れたくないからである。まだ構想段階だが,参加者がびっくりする授業を行いたい。文学の読解指導として10分間で組み立てる。他に新しい先生も御参加くださるようなので,楽しい授業も取り入れよう。「話すこと・聞くこと授業マニュアル」での授業である。漢字マスターカード,作文力マスターカードの授業もしよう。これで40分間である。他にも『国語学力マスターカード』の授業も行いたい。すると50分である。90分しかないので,5本も私一人でできるかどうか。私一人で90分間授業したいくらいである。しかし,参加くださった先生にも授業時間を与えよう。共に学び合う場だからである。(保護者の皆様,よければお子様を連れていらっしゃいませんか。この学習会では国語学力を向上する厳選された授業の提供に努力しております。2年生の学級では2年生用の授業しかできません。しかし国語学習会では,大人でも学べる内容を行います。だから,参加する子どもは必然的に伸びるのです。お待ちしております。)

 『作文力マスターカード 小学1〜2年』の著者校正

 今年の春に書きあげた『作文力マスターカード』全4巻の1冊目が戻ってきた。4巻全部を私が書いたわけではない。私は低学年用の1冊を書いた。

 去年一緒に過ごした1年2組の子ども達との思い出の一冊にしたかったので,子どもの名前を変えながら使った。例えば,「木村ふう」である。苗字はそのままで,名前を少し変えた。実名は本には書かないような慣習になっているからである。子どもの作文をそのまま使っているわけでもない。しかし,1年2組の子ども達とも思い出の一冊にしたかった。(もし,このように変えた形でも名前を使われたくないという方はお知らせください。他の名前に変えます。)

 この本は今年度中に書店に並ぶだろう。そのときには,2年2組の子ども達一人一人に贈りたい。子ども達に学び,どのように指導したらよいかを悩みながら完成させた作文教材である。この教材を使うと1年生でも原稿用紙1枚を10分間で書くようになった。自分で言うのは何だが,ものすごく使いやすい教材である。教科書教材だけでは,国語学力を十分に育てることができない。だから,教材開発に調整し続けている。土・日で校正し,明治図書に送りたい。国語教師として,論文執筆,校正も自らの国語学力を向上させる大切な仕事である。更に,日本の国語教育へ貢献する仕事でもある。有難い機会に心から感謝している。このような仕事を通して,子ども達を向上させる私自身の言語技術が磨かれる。したがってこのような仕事で得た力を学級の子ども達に還元できる。『作文力マスターカード』で作文を書かせたい。

 気になる男子

 最近,男子数名が気になっている。人をたたく。汚い言葉を使う。指示が通らない。私の指示で動き出す。みんなが動き出しても,動き出さない。少し間が空いてからあわてて動き出す。私の指示を聞いてないのが明らかである。だからといって私の指示がわからないのではない。動くときは動く。何か,微妙に私の言い方が違うのか,私の発問の言い方の速度に問題があるのか。私は速度も音量も常に意識して話している。メタ認知である。話しながら,自分の音量が届いているか,早口で聞き取り難くないかと自分の言葉を聴いている。話している内容と関係なく,自分の話を聴いて分析している。この高次の認知がメタ認知である。私の話し方はまだまだ下手である。しかし,それだけに話し方を意識して話している。これも国語教師としての技術だからである。

 自学もやることそうでないことはっきりしてきた。私の指導を身に付けて,伸びてほしいものである。 


 8月27日(日)
 明日から2学期2週目
 始まったと思ったら,もう2週目を迎える。早いものである。1週目は子ども達と楽しい日々を過ごした。「先生,今日は有難うございました。今日も楽しかったですね。明日もよろしくお願いします。」このように帰りに挨拶してくれる。教員は有難い仕事である。明日から実習生が来る。今年度は教務として実習生の窓口であり,指導教官である。しかし,いかに能率よく仕事を進めるかを身をもって指導する。具体的には勤務時間内で仕事を終えるということである。私の日記を見ている実習生は授業時間,勤務時間内に予定の全てを終えるという当たり前のことに挑んで戴きたい。これが出来ない教師が多い。楽しい学校生活を味わわせよう。教育実習の事前指導の際には学校現場の大変な面を紹介した。しかし,教師ほど有難い職業は無いことを楽しんで貰いたい。

 執筆
 大谷氏から共著の執筆を依頼されている。『授業で集団を動かす技術の開発』をいう書である。『鍛える国語教室』10の執筆,編集で多忙だったのでまだ何も書けていない。例えばこのような実践が書けるだろう。少し書く。

 「マスターカード」で対話を楽しむ

 1 「言語技術」で集団が適正に動く

 授業では次の二つの技術を意識している。授業技術と言語技術である。例えば私の学級では子ども達は自分達で漢字を学習していく。私は何を学習するかを言うだけである。
 
 教科書巻末を開く。「夏」から読む。始め。

  夏の空の夏。か。組むの組。2年2組の組。そ。海水の海。広い海の海。親切の切。切る切。切れるの切。刀。とう。聴いて頂戴。

 このように読みテストを始める。班の子ども全員が終了したら,書く練習を始める。私は何も言わない。

  夏,いち,に,さん,しいい,ご,ろく,しち,はち,きゅうう,じゅう。

 このように唱えながら,掌書きを始める。覚えたら,空書きで相互評価を始める。

   聴いて頂戴。夏,いち,に,さん,しいい,ご,ろく,しち,はち,きゅうう,じゅう。

 班の子全員ができたら,次の漢字に進む。班活動である。
 
 ノートを出す。@夏A組B海C切るD刀。

 このように言うだけである。全員の丸付けを私がする。この漢字テストでは1人が80点,他の子全員が100点だった。もちろん,初めて指導した漢字である。
 
 ここには授業技術と言語技術が混在している。強いて分けるとこうなる。

 「授業技術」とは「授業が適正に成立するための技術」である。例えば「読みテスト」「書きテスト」「相互評価」「班活動」などである。これらが子ども達に技術として身に付いているので,漢字学習の授業がスムーズに進む。

 「言語技術」とは「言語活動が適正に成立するための技術」である。例えば「掌書き」「空書き」である。これらが子ども達に技術として身に付いてるので,漢字を覚えるという言語活動がスムーズに進む。

 「授業」の中で「言語技術」が必要になる。「言語技術」の方が具体的である。「言語技術」が子ども達に身に付くと「授業技術」も身に付く。国語科だけの話ではない。「授業技術」を身に付けさせるために,全ての教科で「言語技術」を指導する必要がある。
 本書の「集団を動かす技術」はどちらかというと「授業技術」を指すようである。しかし,「言語技術」が身に付いていない子ども達には「授業技術」も身に付かない。そこで,「言語技術」を身に付けさせる必要がある。

 2 学習用語の明示から「言語技術」指導が始まる
 野口芳宏氏は言う。(日本言語技術教育学会編『言語技術教育 第14号』明治図書,2005年4月,50ページ)

  言語技術とは,言語に関する豊富な知識を安定的に行為化できる力である。
 
 授業で扱う言葉を学習用語と呼んでいる。学習用語が知識である。つまり,学習用語を子どもに指導する。この時点で学習用語の明示である。学習用語を「安定的に行為化」させるために,指導と評価を繰り返す。そして「できる」ように育てる。国語科では学習用語を言葉で明示しないので,指導の無い活動主義の授業ばかりになる。
 国語の授業で学習用語を明示しよう。そして,指導し,評価し,安定的に行為化させよう。
 教科書にも学習用語が少し書かれている。例えば教育出版『ひろがる言葉 小学国語5下』の114ページに「くぎり符号」という学習用語がある。これを現場ではきちんと指導しているだろうか。多くの学級では指導していないだろう。そこが問題なのである。学習用語を明示し,指導する。そして,評価し,「安定的に行為化できる」ようにする。
 教科書に書かれている学習用語だけでは足りない。そこで学習用語を明示した「マスターカード」を開発した。これである。

  『確かな国語学力(基礎・基本)を育てるマスターカード』全8巻(野口芳宏監修,柳谷直明・「鍛える国語教室」研究会空知ゼミ著,2005年10月)

 この「マスターカード」では言語活動ごとに学習用語を書いてある。だから,言語活動を通して学習用語を指導するようになっている。『プランくん』にメモするとインタビューなどの言語活動が上手にできる。
 以下,2年生の2学期初日に行った「マスターカード」の授業である。

 3 「対話」という言語活動で「称賛」などの学習用語を指導する
 @夏休みが終わったね。楽しい思い出がたくさんあるだろう。今日は夏休みの思い出を友達と楽しく語り合おう。「対話」の授業だ。楽しみだろう。

 このように学習意欲を喚起し,「マスターカード」を配る。「マスターカード」は4年生用だが,2年生でも問題なく使える。(前掲書,『小学4年生用』,32ページと33ページを表裏印刷した物)

 A『対話A』,「夏休みに」から音読する。始め。

  (1)「夏休みに〜。」

 B「どこかへ行った」は何をしたのか。

  (2)「問い」を言った。

 Cそうだ。左に「問い」と書いてある。問われた人は何をしたのか。

 (3)「答え」た。

 Dそうだ。2人で話し合う「対話」は自分が話したいことを話すだけではだめ。自分が話したいことを相手に問うとよい。相手の話をたくさん聴いてから,自分が話したいことを話す。相手の話をよく聴く人が対話名人だ。後ろの子とじゃんけんする。

 (4)勝った!

 E勝った子から,問う。始め。

 (5)「夏休みに〜。」

 F終わったら交替。

 ここで授業が終わっては活動主義である。「対話」「問い」「答え」などの学習用語は明示している。しかし,それが子ども達の向上的変容を保障していない。学習用語の明示は子ども達の言語活動を変えるために行う。だから,向上的変容を保障しない段階では,まだ活動主義である。 

 G裏を見る。(32ページの裏に33ページを印刷してある。「マスターカード」Aの裏にBを印刷すると使いやすい。)「ラベル欄」に何て書いてあるか。

 (6)「話したい話題1」です。

 Hそうだ。自分が話したい夏休みの思い出をメモする。メモはどのように書くの。

 (7)短く書く。

 Iそうだ。始め。

 (8)書きました。

 すぐに書く。

 J速い。次に話したい夏休みの思い出を「2」に書く。どんどん書く。

 こうして「話したい話題」だけをメモさせる。今回は2年生であり,1時間だけの授業なので他の「ブランチ欄」(「ラベル欄」の下の罫線部分)にはメモさせなかった。活動の準備ができたら,学習用語指導してから活動させる。ここが学習用語の明示段階である。

 K今度はじゃんけんで負けた人から「問い」(板書)を言う。問われた人は?

 (9)答える。

 Lそうだ。「答え」(板書)を聞いたら,そこから更に「尋ね」(板書)る。「そうなの」と「相槌」(板書)を打ったり,「すごいね」と「称賛」(板書)したりする。

 2年生でもどんどん漢字を使って板書する。板書したときに一緒に読ませるとよい。漢字にどんどん慣れさせる「授業技術」である。

 Mじゃんけんで負けた子から始め。

 楽しそうに活動している。この段階では板書した学習用語が適正に行為化されているはずは無い。そこで,評価する。

 Nひかちゃんともりくん,前に来る。みんなの前で,今の「対話」をもう一度行う。始め。

 ここで学習用語を使って評価する。「相槌」ができているね。「称賛」が無いよ。このようにである。

 Oでは,これらの学習用語をきちんとできているかを評価してもらう。評価用の「マスターカード」を配る。(「対話」@とCを表裏印刷した物。)

 「はい,どうぞ。」「有難う。」このようにプリントが配られていく。

 P「対話C」,黒@準備を音読する。

 (10)「準備」(メモを〜。)

 Q上の四角の白@から音読する。

 (10)「@問い,話したい,〜」

 Qじゃんけんに負けた起立。あなたの「対話C」を相手に渡す。あなたから「問い」を言う。「対話」が終わったら,座っている子に丸を付けて貰う。できていたら丸にする。終わったら交替する。座って始め。

 このように相互評価をさせる。そして黒Bの「評価」で自己評価をさせる。

 Rようし,さん君とさおちゃん前に来る。「対話」して御覧。

 すばらしい。このように「称賛」されると嬉しいでしょう。自分が言いたいことを言うだけでなく,言いたいことを問う。そして相槌を打ったり,称賛したりすると楽しく「対話」できる。「対話」で話したことを先生にも聴かせてね。


 こうして次の時間,一人一人短めに思い出を発表させた。今回はスピーチではなく,思い出を簡単に発表し,2〜3人から質問を受けて思い出を学級全員で聴き合った。楽しい授業で2学期の学級開きを行った。

 「言語技術」を身に付けさせると「集団を動かす技術」が身に付くという一例である。
 「マスターカード」で学習用語を指導し,「言語技術」を身に付けさせよう。すると集団が適正に動く楽しい授業ができる。 


 8月23日(水)
 2学期始動! 
 2学期が始まった。この子達は長期休業のあとでも崩れている状態にならない。がんばる子が多い。すっかり一学期始めのように,人をたたいたり,授業中に遊んだりしている子もいる。普通は休みが明けると,このようにすっかり指導前に戻っている子が多いものだ。しかし,多くの子はそうではない。1年生のときから,きちんとしている子が多い。2年生になり,活動を進んでできない子,だらだらしている子が目立ったが,2学期の3日間では,そう目立たなかった。進んで掃除をし,雑巾をきちんと絞っている。雑巾を絞れない子には弱ったが,絞れるようになっている。体力も付いてきたか。夏休みを終え,少し逞しくなったなあという印象を持っている。そうでない子は今後に期待するしかない。転入生に声をかけてくれる優しい子が多い。本当にいい学級だ。かわいい子ども達との毎日が始まり,本当に先生は幸せだと思う。こんなかわいい子ども達に勉強を教えてお金が貰えるのだから,幸せな職業だ。

 自由研究〜私からの学びの集約〜
 すばらしい作品が多い。2年生なので,親が手伝って当たり前である。自分一人でできるはずがない。「お母さんに書いてもらったの。」こう訊くと,自分でやったと言う。まあ,よくやった。特に2年2組は新聞が多い。先生が新聞づくりを何度も時間をかけて指導してきた結果である。昨日,各学年の自由研究を見て歩いたが,こんなに新聞を作っている学級はなかった。他の学年に負けない立派な新聞に嬉しくなった。新聞づくりは大変だ。割付から始まり,下書き,清書,イラストなどなど多くの学力を必要とする。それを夏休み中に取り組んでいるのだから,本当に立派だ。だいたい家庭で作文を書かせたり,新聞を書かせたりすると下手になる。先生が指導できないからである。しかし,ここまで立派な新聞を作ってくるのだから,保護者も立派である。私の日常指導をよく理解してくださっている。このような新聞が上手だと,手本になる新聞や絵日記を廊下に掲示している。それらを見て,それらを参考にしてくださっているから保護者が指導しても立派な作品になる。私が第1,3金曜日の夜に国語学習会を行っているのも,そのような狙いもある。金曜日の夜だから,予定もある。しかし,先生は保護者や子ども達に国語学力を伸ばして貰う方が楽しいのだ。学級で子どもだけを伸ばしても,保護者が私の指導を理解してださっていないと,担任が変わるとすぐにできなくなる。作文にしても新聞にしても自学にしても,指導しなくてはすぐにできなくなる。だから,私の指導を保護者にも知って戴きたいのだ。私の指導を保護者が理解してくださると,家庭学習でも,担任が変わっても,保護者が指導できる。すると,伸びた学力を更に伸ばし続けることができる。俳句絵本もすてきな自学だ。お父さんと一緒に木を切ってつくった椅子にも驚いた。工作を作る子は,その作り方も一緒に書くとよいと指導してきた。または作る過程を写真などに撮っておくと,相手によく伝わる自由研究になる。これを作ったという自己満足だけでなく,それをみんなに伝えたいという他者意識を育てたい。だから,このように作るとできるよ,という作り方を書くとよいのだ。こんなことは1年生のときから言い続けている。インタビューをして,調べたことをまとめた新聞,旅行の新聞,みんなで遊べる工作,絵本のような図鑑などなどがんばった。先生が1年生から教えているインタビューや新聞や絵日記などを使って,自分の課題を持って学習する子に育ってもらいたいものである。教科書だけの学習が学習ではない。自分の身近なことを調べたり,ひとの役に立つことをしたりする価値のある課題解決学習をさせたいと1年生から取り組んでいる。このように先生の期待に応えてくれる子ども,保護者に心から感謝する。子どもは大人の関わりでどうにでも育つ。(2学期は9月1日から国語学習会を始めます。いつものように6時30分から8時まで休み無しの90分授業です。1年生から大人まで楽しめる国語の授業開発に挑戦しています。わが子に国語を教える自信がない保護者に是非,参加して戴きたい。)

 漢字テスト
 2学期2日目の漢字5問テストの結果は26命中25名が100点だった。新出漢字「夏,組,海,大切,刀」である。15分程度で終わった。3日目の漢字4問テストの結果は平均点89点だった。26命中18名が100点。75点6名。50点1名25点1名だった。新出漢字「岩石,答え,車内,親切」である。前日習った「切」を忘れている子が多かった。時間も25分くらいかかった。読みを覚えるのに時間がかかった子がいた。読みを覚え難い子はいるものである。このような子に漢字の形と読みを覚える習慣を身に付けさせないと,ずっと覚えられないでいく場合がある。注意して,よく見て指導する必要がある。2学期は毎日4つずつテストしようかなと思っている。教科書巻末で指導できる。それにしても,漢字の書きを覚える時間が短くなった。よく育っている2年生である。


 8月20日(日)
 『鍛える国語教室』10完成
 毎日同じ見出しで日記を書いている。それだけ嬉しいのだ。なんせ10冊目である。こんなに続くとは思っていたいたかどうかよくわからない。とにかく続けていきたい。今回は野口先生の模擬授業や講演記録が4本もある。嬉しい限りだ。かなり予約の申し込みを戴いた。あと20冊くらいで完売だ。野口先生からは1000冊くらい作ってはというお話を頂戴した。有難いが,難しいだろう。少なくても,価値の高い仕事を残していきたい。さあ,秋号の執筆を始める。私の生活は『鍛える国語教室』と共にあるといっても過言ではない。有難い毎日だ。

 2学期の始まり
 授業をしたい。野口先生と学んでいると,本心からこう思える。授業がしたくない全国の先生,是非,野口先生に学ぼう。授業をしたくない,授業が苦しい先生は全国に多いと思う。『すぐに授業がしたくなる』というタイトルで本を書いたら売れるだろうな。そんな先生は野口先生に学ぶとよい。


 8月19日(土)
 『鍛える国語教室』2006年夏号,10完成
 編集後記

 2002年夏,『鍛える国語教室』1を『鍛える国語教室』研究会空知ゼミで発行した。「鍛える国語教室」研究会空知ゼミの活動を開始したからである。136ページの見やすい冊子である。確か150部作成したと思う。しかし,すぐに無くなった。花田修一先生には創刊号から書いて戴いている。有難い。(花田先生の新刊が出ました。是非,御覧ください。本誌も書の中で後生か戴いております。有難うございます。『21世紀型授業作り117 心を育む言葉の教育ーいま、国語教育に足りないことー』明治図書,2006年6月)野口主宰からの学びを広く伝えていきたいと始まった冊子である。我々の運動の拡大を狙って始めたわけではない。その狙い通り,少しずつ野口主宰からの学びを書き続けることができた。更に今年から,運動の拡大も狙っている。運動を拡大しないと,野口主宰からの学びを広く伝えられないからである。そこで8月に函館で修業講を開催した。参加者は64名だった。野口主宰も函館でこんなに多くの方が集まった事実におどろかれていた。明治図書を販売していた戸田さんも,たくさん売れて驚かれていた。一人何冊も本を抱えて買っていた。もちろんマスターカードも売れた。このように運動を拡大すると広く野口主宰の授業を伝えていける。私は運動より研究の方が好きだ。しかし,運動を行いと広まらない。したがって,研究者としてだけでなく,運動家としても歩み出したい。
 8月18日(金)2学期の前日出勤である。午前中に学年や分掌の打ち合わせを終えた。学年通信は他の先生より1時間早く出勤し,先に書いた。午後は本誌の仕事に専念したかったからである。学級業務も完全とは言えない。やりたい仕事はある。しかし,本誌の編集も子ども達の学力向上のための大事な仕事である。そこで,学級業務を終えて本誌の編集に専念した。終了したのは22時30分だった。(続く。)出勤時間になった。今日も出勤する。これでいったん終える。


 8月15日(火)夏季休業第19日目
 苫小牧駒澤高校,おめでとう

 一昨年,『国語学力マスターカード』を書いているときに,苫駒が初優勝した。それを何年生かの教材に書いた。今年はなんと3連覇を狙っている。それだけに一つ一つが苦しい戦いだろう。しかし,見事に期待に応えてくれている。7対1からの挽回である。見事だった。今日の試合では諦めないという強い心を貰った。さあ,諦めないという強い心で仕事に臨もう。子ども達も見ていただろう。


 8月14日(月)夏季休業18日目
 作文技術論

 筆が進まない。
 筆記用具で書いていたときはこのような書き方でよかったのだろう。しかし今は,パソコンである。したがって,タイピングが進まないと書くべきか。
 どのように書けばよいかもよくわかっていないのだから,進まないのも当然である。もっと国分一太郎氏の問題点を批判すべきなのだろう。しかし,正面から批判しない弱い論調になっている。これでは宇佐美先生に御指摘される。少し構成を整理しよう。

 現行の学習指導要領は抽象的である。具体的な目標にする必要がある。なぜ,抽象的な目標なのか。能力という用語自体が抽象的だからである。したがって,技術という具体的な目標にすべきである。これまでの国語科が抽象的だった。例えば作文指導の指導者だった国分一太郎氏ですら抽象的な技術指導をしていた。だから具体的にする必要がある。野口芳宏氏は教師が解を持たないという問題点を指摘している。具体的な解が具体的な技術である。つまり,具体的な解が技術の明示になる。そこで,国語科で指導すべき用語を学習用語として明示する必要がある。学習用語をどのように行為化させるとよいかを教師が解として持つ。すると,具体的な技術の明示になる。技術教育は解の明示で成立する。よくわからないかなあ。
 現職教諭が論文を書かなければ,現場の教育は変わらない。なぜなら,実践が伝わらないからである。『鍛える国語教室』のような同人誌に論文を書く行為を行政も推奨してほしい。すると書き手が増える。 

 子どもの葉書
 子どもに葉書を貰った。今日,返信を書いた。宇佐美先生へもお礼を書いた。楽しい2学期を迎える前に,夏号を完成させよう。


 8月12日(土)夏季休業16日目
 『鍛える国語教室』2006年夏号編集中

 昨日,速達で宇佐美寛先生の校正が届いた。有難い。今回も『鍛える』に対する御批評である。真摯に受け止めたい。
 私は作文技術論を書いている。野口先生の技術論を援用する。そして敷衍する。これまでの国語科での技術論がいかに抽象的かを作文技術論で論証する。作文技術論をきちんと書ければ,読解技術論,話す・聞く技術論へと体系化できる。少しずつ書くしかない。道は長い。しかし,きちんと書かなければ説得できない。学習用語が明示されなければ,技術教育は成立しない。

 第7回国語修業講のアンケート集約
 ようやくアップする。アンケートに御回答戴いた皆様に,心から感謝申し上げたい。野口芳宏先生からもアンケートに御回答戴いた皆様へのお礼のお電話があった。


 8月11日(金)夏季休業15日目
 月曜日から年休を取り,キャンプへ行ってきた。いつもの蘭越である。毎日温泉に浸かっていた。体の疲れはとれただろうか。今日は朝からメールを見て,日記を書いた。これから作文技術の論文を書く。これまでの作文指導がいかに技術的でなかったかを論証する。そして,技術指導のために用語の確定から行う必要を書く。用語の指導は人気がない。なぜか。おもしろくないからだろう。さらには用語の必要性を感じないからだろう。例えば句読点の使い方を指導する際にも句読点という用語を子どもが知らなくては指導できない。句切り符号という便利な言葉がある。これを知っていると知らないとでは授業の質が変わる。学習用語(技術)指導は野口先生が確立できなかった険しい道である。私が牛歩で提案していくしかない。作文指導から書いていく。10日以上文章を書いていない。こんなに文章を書かなかったのは,ここ数年でないだろう。それだけ今年は時間があるということか。そういうわけではないな。仕事は山積している。右手の親指の痛みも消えない。温泉でかなり意図的に癒したが,まだ痛みはとれない。キャンプへ行く前よりはよくなった。

 第7回国語修業講アンケート集約
 今日はアンケートをアップする。旅から帰ってきてからアンケートを集約していた。今回,たくさん書いて戴いた。有難い。反省をもとに,次の企画を立てる。次の旭川,札幌の修業講も先生方に貢献したい。そのための努力を惜しんではいけない。野口先生からアンケート集約へのお礼のお電話を昨夜頂戴した。私はすでに就寝していた。有難い師である。野口先生の体力はものすごい。

 読解内容の違い
 文種間だけでなく,同じ文種でも読解内容に差があると夢の中で私は誰かに語っていた。確かにそうだ。文種による大きな違いはある。しかし,だからといって文種だけで読解内容を規定できない。同一文種でも,文章の特徴によって読解内容は異なる。このように夢にヒントを貰うことがある。


 第7回国語修業講のお礼
 楽しく学び合うことができました。御参加戴いた皆様に心から感謝申し上げます。私の授業,講座はまだまだ修業が足りません。これからも惹きつける内容に努力致します。『アレクサンダとぜんまいねずみ』は私が考えていた発問を野口先生が発問されていました。感動しました。やはりあそこがこの教材での中心場面です。出来れば『鍛える国語教室』な都合に載せたいと思います。御覧ください。これからも謙虚に野口先生に学び続けます。御参加戴いた皆様,有難うございました。次回も是非,学び合いましょう。お待ちしております。よければ模擬授業に立候補してください。このような場を我々自身の修業の場として設けております。執筆に,授業にと立候補ください。そこから修業が始まります。各地で勉強会を始めるのもよい修業の場になります。我々空知ゼミは手弁当で伺います。一緒に学び合いましょう。


 柳谷先生の自由研究〜東北紀行記〜

 8月1日第7回国語修業講
 前夜,登別の先生方と合流して盛り上がった。教材研究をしたり,翌日の打ち合わせをしたりと楽しいひと時だった。朝,函館朝市で烏賊を釣った。耳に針を当て,そのまま釣る。その場で捌いて刺身にしてくれる。おいしかったが,御飯が無いので食べ難かった。会場に着くと上村さんが先に来ていた。いよいよ一日の始まりだ。スタッフが少なく,行き届かない面が多かっただろう。しかし,万全を尽くした。手伝ってくれた冨樫さん,釜谷さん,太田さん,函館ゼミのメンバーに感謝したい。大谷さんからネーム・プレート,ポストイットの件を指摘された。ネーム・プレートは新しいものを少しずつ増やしていく。修業講の内容はアンケートをまとめている。それに書いて戴いた通りである。おおむね満足戴けたようで,安堵している。アンケートは本当に有難い。教材の問題点を御指摘戴いたり,よさを称賛戴いたりするからである。先生方のニーズを知ることが出来る。やはりイベントはやるべきだ。そして先生方に学びながら教材や授業法を開発すべきだ。野口先生,御参加の先生に学べるのだから,準備の苦労など雲散霧消である。有難い一日だった。次回の学習会は旭川である。また,新たな出合いにわくわくする。今度はいよいよ読解力マスターカードを具体的に提案する。散らしもそろそろアップする。今回の参加者に御指摘戴いた通り,模擬授業の時間を短くしよう。そして,野口先生に代案を示して戴こう。終了後,野口先生を囲んで懇親会を行った。冨樫さんの司会で野口先生との出合いを語り合った。楽しい会だった。夏祭り函館の夜は賑やかに 直明
 
 第7回国語修業講を終えた。60名を超える参加者と学び合うことができた。運営し,授業し,講座を行った私が一番学ぶことができた。有難い一日だった。アンケートを見ても,多くの方に満足戴けたようだ。よかった。
 私は『アレクサンダとぜんまいねずみ』に感動した。この会を開いてよかったと心の中で叫んだ。野口先生の読みに私の読みが近づいている。嬉しい。
 野口先生に私が似ていると書いてくださった先生がいる。これも嬉しいことである。私は野口先生に憧れている。私の国語の師である。したがって野口先生に似ていると言われるのは本当に嬉しい。わざと似せているわけではない。自然と身に付いてきたのだろう。

 8月2日函館発
 朝,函館を発つ。次のようにメモを書いた。

 薄曇祭りの夜を包含す 

 昨夜も学ばせて戴いた
。謙虚に耳を傾けよう。まだまだ私の授業には問題がある。参加者のアンケートにあったが,板書を消さないで松本さんへ渡したなど初歩的なミスだ。改善しよう。
 修業講へ参加戴いた多くの方が,野口先生のリピーターではなかったようだ。初めての方に御参加戴いて,有難かった。次回はリピーターを増やす努力をしなくてはいけない。
 私の企画,私の主張が故にこんなにお集まり戴いたという自信が過信にならないように努力し続けよう。努力を止めてはいけない。
 タックシール,ネーム・プレートの問題は私も気になっていた。しかし,時間も無かったのでそのままにした。気になったことをそのままにする甘さが私の授業の甘さである。気になったらとことん修正を加えるという努力を惜しまずに臨もう。
 それにしても多くの方に御参加戴いた。心から感謝申し上げる。
 野口先生へ岩手から何かを贈ろう。
 参加者の皆様にお礼の言葉を添えてお葉書を贈ろう。
 子ども達には絵葉書を贈ろう。
 今日は宮沢賢治を堪能しよう。

 青田見る賢治の生きた花巻で 

 こうして書いていると八戸に着いた。

 盛岡着
 ここは実に懐かしい気がする。

 岩手にて故郷かなと夏の朝 

 岩手から普通電車で新花巻へ行こうとした。しかし,みちのく切符は新幹線の自由席も乗れるらしい。自由席が無い新幹線に乗ってもよいと伺った。そこで岩手のホテルに荷物を預け,新幹線で新花巻へ行くことにした。

 風鈴の音風になる盛岡市 
 盛岡の駅前広場でさんさ舞う 

 駅前に人が集まっていた。何ごとかと尋ねると,1時からさんさ踊りが始まると言う。なんだかわからないが,荷物をさっさと預けて,駅前に戻った。

 掛け声でさんさ集団祭り呼ぶ 

 サッコラチョイワヤッセーと言っているように掛け声が聞こえた。このような擬声語が宮澤作品に影響を与えているのだろうと推測する。

 夏日差しさんさ踊りが美しく 
 夏衣着て踊り出すさんさの娘(こ) 
 サッコラと声響かせて祭りの日 
 北上の水面も凉し新幹線 

 北上川の上を新幹線で渡った。ここで賢治も遊んでいたのか。

 土を踏む賢治の生きた青田照る 
 胸躍る故郷歩む東北路 

 花巻着
 新花巻駅に降りる。そこはイーハトーブだった。
 花巻駅には七夕の大きな笹飾りがあった。駅にある案内でどのように歩くかを決めた。
 駅を出るとセロ(チェロ)の音が流れていた。宮沢賢治作『セロ弾きのゴーシュ』がそこにいた。
 駅前の土産物屋で買い物をする。そして,タクシーで宮沢賢治記念館へ行く。

 宮沢賢治記念館

 宮沢賢治記念館に着く。タクシーですぐだった。そこまでの道の風景は水田である。新幹線新花巻駅は宮沢賢治記念館のためにできたのだろうか。

 館内では宮沢賢治を堪能できた。宮沢賢治の綴方帳がある。このような綴方帳を子ども達全員が持っていたのだろう。

 イギリス海岸など,賢治の造語の説明が書いてある。イギリス海岸ー北上川が昔の海の渚だと言った。今回は花巻駅周辺へは行けなかった。次回は花巻駅周辺へ行ってみたい。イギリス海岸と読んでいた河岸もある。

 心象スケッチー『春と修羅』を詩集と呼びたくない。心象スケッチに過ぎないから。「心象スケッチ」とは何かと考えた時期がある。心に浮かんだ言葉を並べて詩を書かせていた時期もある。いい言葉である。

 イーハトヴは……心象中に,……実在したドリームランドとしての日本岩手県である。……。(賢治28歳『イーハトヴ童話・注文の多い料理店』での自筆広告文から)

 賢治は生前,童話集は『イーハトヴ童話・注文の多い料理店』の1冊だけ刊行した。大正13年12月である。1千部である。

 生前,ただ一度の稿料5円を貰った作品がこれである。『雪わたり』大正10年,『愛国婦人』しに投稿し,掲載される。(いずれの情報も宮沢賢治記念館の展示からである。)

 宮沢賢治記念館には教材に出来るものがたくさん販売されている。2学期は宮沢賢治の授業をつくろう。読書感想文も宮沢賢治の作品で書かせるとおもしろい。子どもに宮沢賢治の作品だけで書かせるのは大変だが,私の指導で書かせるのは大変ではない。『雨ニモマケズ』の朗読を購入した。これも授業に使える。宮沢賢治の作品は著作権が切れているらしい。これを使って読解力マスターカードを書くか。

 賢治記念館を出て,宮沢賢治イーハトーブ館,宮沢賢治童話村,花巻市博物館,新渡戸稲造記念館へ行く。特に童話村の賢治の学校はおもしろかった。あれをもう少し大きくすると一つのテーマパークに出来るだろう。
 『やまなし』での蟹は,あそこを流れているような小川に住んでいたのだろうなと思いながら散策した。

 競い合い重なり合いて蝉時雨 

 松尾芭蕉の「閑さや岩にしみ入蝉の声」は実際にはどうなのかと思う。岩にしみ入るような閑さを生む蝉の声があるのだろうか。非日常だから優れた作品なのか。

 夏の夕稲造館でバスを待つ 
 バスを待つ横涼しげに用水路 

 花巻市内には100円で乗れるバスがあった。どこまでも乗れるのかはよくわからなかった。花巻市街でも走っているらしいので,次回は乗ってみよう。

 盛岡市内に戻り,冷麺を食べる。その後,ふらふらと歩いていると「さんさ踊り」と出合った。道を「さんさ踊り」の人達が踊りながら歩いていた。

 橋涼み人混みの中さんさ見る 

(立秋までの夏と判断して,ここでは夏の季語で書いた。)

 こうして盛岡の夜を迎えた。

 弘前へ
 8月3日は弘前へ向かった。途中青森で下車して,駅前をふらふら歩いた。函館の学習会へ御参加戴いた方への礼状を青森から送った。その後,青森で昼食をとり,そこで子ども達へ葉書を書いた。

 青森の訛り懐かし夏が降る 

 青森の訛りは懐かしい。心に優しく響く。

 青森からすぐに弘前に着いた。弘前も美しい町だった。町を歩いていると周富徳さんに会った。祭りで特別に来ていたらしい。そこで売っていた春巻を食べた。これがおいしかった。4本で735円だった。

 追手門津軽そば食べ祭り待つ  
 囃子吹く子に誘われて祭り来る
 次々と迫る行灯祭り来る 

 ねぷた祭りを初めて見た。スケールの大きさに驚いた。

 ホテルへ帰ってから,少し教材を読む。朝早く起きて,授業研究を行った。
 こうして弘前での学習会を迎えた。
 
 8月4日
 朝,関屋先生,伊藤先生と電車で一緒になった。
 20分間の模擬授業をさせて貰った。学習用語の指導を提案した。やはり,難しかったかな。しかし,このような用語指導を理解させていく必要がある。それが「見える学力」だからである。これまでの国語科とはあまりにも違うので,違和感を持つ方は多いだろうな。さらに修業に励もう。
 こうして5日間の旅を終えた。帰宅すると夜中の1時を過ぎていた。

 これで柳谷先生の自由研究「東北旅行記」を終える。このような文章に写真をつけると楽しい自由研究になる。子ども達のみんなもがんばって自由研究を完成させよう。(^^)v