2006.11.3UP
11月30日(木)
野付小学校へ
明日は野付小学校の研究会である。私は共同研究者として検収に関わらせて戴いて来た。学習用語を系統的に行為化するという画期的な研究に取り組まれている。子ども達がどのように変容しているかが楽しみである。太田先生,がんばって! これから寝台列車に乗り,明日の朝は野付である。明日の夜の寝台に載り,明後日の朝は帰宅する。ハードである。(^^)v
1月12日辺りの予定
1月修業講の行程です。ホテルなどを御紹介します。
11月29日(水)
1 「授業作文」とは何か
「授業作文」とは野口芳宏先生が開発された教材である。野口先生が現場教師の頃に実践されていた作文である。
学習作文という言葉は昔からある。これも授業での学びを書くのだから「授業作文」のようである。しかし,野口先生の「授業作文」は一味違う。どう違うのか。私の考えを書く。
1 授業でのやり取りが引用されている。会話文も引用の一つの形である。会話文や本文からの引用が使われている。(この引用の書かせ方が低学年には難しい。しかし,この子達は全員が引用を書ける。すばらしい。)
2 子どもの心の動きが読み取れる。野口流論破の授業は○か×を全員に迫る。これが全員参加の一つの授業技法である。全員参加は授業では当たり前の話である。しかし,その当たり前ができていない授業が多い。授業参観をすると,何人かは授業から置いていかれている。○か×の論破の授業で全員参加が保障され,個々の心の揺れが読み取れる。
3 長文が書ける。だらだらと内容の薄い長文を書かせるのはよくない。短い文章の方が言葉を厳選しなくてはいけないので書き難い。しかし,「授業作文」はだらだとした長文ではない。なぜなら,数時間分の授業を書くからである。1時間の授業を私がパソコンで書くと原稿用紙30枚くらいになる。子どもはそんなに思い出せない。しかし,原稿用紙2〜3枚は思い出せる。それを5時間分書くと10枚以上になる。したがって,内容の濃い長文が完成する。
4 子どもの実態を評価できる。作文の書き方の評価もできる。さらに,子どもの学習内容の理解度の評価もできる。子どもが何を考え,どう理解したのかがわかる。これは,教師が一方的に教えっ放しにしている授業とは全く別物である。完成した作文を読むのは大変だが,一人一人の理解度,作文技能の実態評価などが可能である。
2 『きつねのおきゃくさま』の「授業作文」
今回は初めて『きつねのおきゃくさま』の授業作文を書かせた。『きつねのおきゃくさま』の読みを4時間で終え,その際に書いたメモや教科書を使って授業作文を8時間で書かせた。
今のところ一番多く書いた子はみさちゃんと佑ちゃん恵里ちゃんと潤二君である。原稿用紙で10枚を書いた。内容もよい。ほとんどの子は8枚くらいを書いた。(転入生の佑ちゃんがこんなに書いたという事実には,少し驚いたが。もともと書ける子なのだろう。)
もっと時間をとると,さらに書かせることもできる。しかし,今回はこれで止めさせた。まさに授業での子どもの変容がわかる。2年生なので稚拙な表現もあり,かわいいものである。(私が読んでから,子どもに持たせています。持ち帰ったら,読んでほめてください。)
あとは『アレクサンダとぜんまいねずみ』の授業で「授業作文」を書かせる。『アレクサンダとぜんまいねずみ』は,すばらしいこの子達と授業する最後の国語教材だからである。
11月28日(火)
2年生の漢字テスト
2年生の新出漢字全部のテストを作成した。是非,御活用戴きたい。教え子の君達は,2年生が終わるまでに全部を合格するんだよ。ファイト!
今日の授業にリンクした。
11月27日(月)
来年の仕事
9月29日(土)に九州で授業をさせて戴けそうだ。9月22,23,24日は野口邸で学習会を行う。来年はこれまで以上に学びを深めていきたい。そして,野口流国語を大いに広める年にしたい。1月旭川,2月札幌,8月函館,9月九州で授業ができる。有難い。
サッカー
この寒いのに,外でサッカーをさせた。私は毎年寒い時期のサッカーをさせてきた。子ども達の多くは喜んで走っていた。そうでない子も少しいた。楽しいひと時である。12月5日のポスター・セッションの準備を進めさせている。2年生でポスター・セッションが成立する子ども達である。すばらしい。来年,手放すのが実に惜しい。
11月26日(日)
夜の茶話会
昨日は夜の茶話会があった。帰宅した現在,12時を過ぎたので26日の日記として書いている。すばらしい子どもと毎日を過ごしている。久しぶりに保護者と飲んだが,保護者もすばらしい。一緒にいて楽しい人達だ。保護者がすばらしいから,子どももすばらしいのだと改めて思う。あと数ヶ月になったが,すばらしい子どもをさらに大切に育てていきたい。
著書の売れ行き
私の著書は難しいと言われる。だから,あまり売れないのだろう。しかし,最近売り上げが上がっている。現在は売り上げ順の27ページ目(さっそく28ページに落ちていた。毎日変動している。)にある。各ページが30ずつなので,810位以内に入っている。このややこしい本がこのように売り上げが伸びている事実に驚く。国語学力に関心が高まっているからだろう。御購入戴いている皆様に,心から感謝したい。次のページにある。まだの方も是非,明治図書に注文して戴きたい。『〈学習用語のカテゴリー化〉で〈国語学力〉を育てる』である。http://www.meijitosho.co.jp/shoseki/index.html?abspage=27&zenbun=%96%DA%8E%9F&you=true&sho=true&chu=true&etc=true&filter=&order=%94%84%8F%E3%8F%87&style=%92%CA%8F%ED%95%5C%8E%A6
11月25日(土)
連日ワークづくり
最近は集中して漢字ワークを書いている。ようやくあと200枚になった。慣れてきたので,休日は10時間くらいで20枚を書けるようになった。平日も,帰宅後に3時間以上は書いている。何とか12月中旬には書き終えたい。そして,部屋を片付けたい。仕事が進行していると片づけることが出来ない。常用漢字を小学校卒業までにマスターさせる画期的な教材である。来年度には発売されるだろう。
主題を指導する
職員打ち合わせの数分間,釜谷氏の学級通信を読んでいて刺激を受けた。これが学習用語の行為化の授業だ。
1組で有形と無形の価値を「おにの子は幸せか」という課題で指導していたからである。もちろん,有形と無形の価値は2組でも指導した。しかし,「おにの子の幸せ」とつなげてはいない。そこで,2組でももう少し『わにのおじいさんのたからもの』の授業を行うことにした。もう止めようと思っていたが,さらに指導した。
課題は読んでいて気になる所を選択させたい。課題は何か。
「なぜ,おじいさんは宝を教えたのか。」それはもう考えただろう。山場で考える。
「なぜ,帽子を脱いだのか。」それはおもしろい。解をノートに書く。
この課題は私も考えていた。しかし,それほど重要視していなかった。しかし,風ちゃんのこの発言で扱うことにした。一人一人のノートを見て歩くと,同じような内容だった。
「夕焼けが美しかったから。」という解が多い。夕焼けが美しいのは当たり前だ。なぜ,美しいと帽子を脱ぐ必要があるのか。
「夕焼けが宝物だと持ったから。」なぜ,たからものの前だと帽子を脱がないといけないのか。帽子を脱ぐとは,どのような意味を持つのか。このように発言させていくと,やはり子どもは脱帽の意味を理解していなかった。これが子どもの読みの抵抗であり,限界である。
「柳谷先生に,校長先生の前では帽子を脱ぎなさいと言われたことがある。」そうだ。帽子を脱ぐという行動がどのような意味なのかを自分のこれまでの経験から考える。自分の経験をどんどん引き出して,鬼の子の行動の意味を考える。読みとは自分の経験や経験の組み合わせからの推測である。なぜ,校長先生の前で帽子を脱ぐのか。
「宝を教えてくれたわにのおじいさんに有難うと言いたかったから。」私の問いには答えていない。しかし,関連するので拾った。そうだ。そのことをずばり何と言う。「感謝ですか。」子ども達は考えに考えて答えていった。
算数の×は全然違うという意味だ。しかし,国語の×は違う。より深く考えるために,浅い考えを×にする。これでよいと思ったら,そこで考えは終わる。これでもまだ×かなと×を付ける。すると考えが深くなる。感謝も正解だ。しかし,まだ×だ。なぜ,校長先生の前で帽子を脱ぐのか。
「校長先生は偉いからです。」なぜ,偉い人の前では帽子を脱ぐのか。子どもが言ったか私が言ったかは忘れた。ここで失礼という言葉を指導した。
失礼と言う。「職員室に入るときに失礼しますと言います。」そうだ。職員室で働いている先生方に失礼だから失礼しますと言う。失礼しますが,お許しくださいという意味だ。出て行くときは失礼しましたと言う。「誰かの家に入るときにはお邪魔しますと言います。」そうだ。相手にとってお邪魔だけど,入らせてくださいというお願いをするのだ。帽子を脱ぐのは,校長先生に失礼だからだ。逆に言うと,話を聴くときに帽子を脱ぐのが礼儀なのだ。しかし,礼儀でもまだ浅い。間違っているわけではない。正解に近いが,×だ。さらに考える。
子ども達は考え続ける。しかし,難しい言葉なので指導した。おにの子は礼儀正しくするために帽子を脱いだのではない。難しい言葉なので教える。夕日があまりにも美しいので,鬼の子は畏まった。「畏まった。」「レストランで,畏まりましたって言う。」そうだ,目上の人やお客さんに言う丁寧な言い方だ。丁寧な言い方を敬語と言う。夕日は人では無いが,畏まった。そして,敬った。あまりの美しさに心が大きく動き,帽子を脱いで頭をさげたいという心になった。そのような心を畏まると敬うを合わせて畏敬と言う。先生は畏敬がこの作品の主題だと思う。
板書して説明した。難しい言葉である。しかし,鬼の子の心情を考えると夕日に対して畏敬の念を抱いたということばがピッタリと当てはまる。感動や感謝だけでは,何か物足りない。他にも使える言葉なので,ここではしっくりとこない。そこで,思い切って畏敬という言葉を指導した。よし,それでは前回指導した有形と無形の価値や,今日学んだ言葉を使って授業作文を書く。始め。
3分間くらいしか時間がなかった。しかし,子どもが有形と無形や畏敬という言葉を使って作文を書けるかどうかを見たかったので,この時間で書かせた。学習用語を指導する。学習用語を子どもが使う。思考は言語である。言語を増やすことで思考力が育つだろう。国語の授業で難しい言葉を指導しなくては,いったい誰がどこで指導するのか。釜谷氏の実践のお蔭で,楽しい一時間を過ごせた。以下,子どものノートである。あまりにもよくわからない表記は修正した。漢字は使用しているままである。学習用語を使って表現している。学習用語の行為化である。
今日の学びを書く。なぜ,ぼうしをとったのか。私はきれいだったからだ。
先生がおっしゃった。
「もっとふかく考える。」
でも私はわからなかった。答えは,帽子をぬぐのが礼ぎだからだ。
無形と有形はどっちに価値があるのか。私は無形が価値があると思う。たとえば,お金といのちのどっちが大切なのか。お金がなくてもいきていけると思う。(ひかり)
今の学びはおにの子がぼうしをとったのはなぜかということだ。
先生がおっしゃった。あ
「かしこまる。うやまう。」
みんなびっくりした。ぼくもはじめてきくことばなので,びっくりした。
ともだちはいっぱいはつげんした。ぼくもはつげんした。なぜならわかったようなきがしたからだ。(しょ)
今日は,ぼくは,校長先生に会ったときには,ぼうしをかぶっていたら,ぼうしをぬいで礼をすると学んだ。いけいだ。
ゆうけいむけいのどっちがかちがあるのか。ぼくはゆうけいだと思う。なぜなら,……。(次)
今の学びはなぜ,ぼうしをぬいだのかだった。きのうの学びは無形と有形だ。どっちがかちがあるのかをやった。ぼくは有形とかいた。なぜなら,そっちのほうがかちがあると思ったからだ。せいかいは無形だった。(じゅ)
今日は失礼,感謝とかを学んだ。そしてきのうは無形と有形を学んだ。私は無形だと思う。なぜなら無形は無形はさわれなくて有形はさわれるからだ。私はいろいろなことを学んだ。(ひな)
今日の学びをかく。無形と有形のどっちがかちがあるか。それは無形にかちがあると思う。なぜなら夕やけがだいじだからだ。むけいにかちがある。(風)
今日の学びを書く。なぜぼうしをとったのか。
せんせいがおっしゃった。
「答えを考える。」
私はきれいだからだと思った。
また,先生がおっしゃった。
「またふかく考える。」
ながたふうちゃんがいった。
「ありがとうといいたいから。」
みさきくんがいった。
「かんしゃですか。」
それはあっていた。ぼくはそんなことをかんがえられなかった。(じ)
今日の学びはぼうしをなぜとったのか。ながたふうちゃんがいった。
「きれいだから。」
先生がおっしゃった。
「ちかい。」
ぼくはいった。
「かんしゃ。」
せんせいがおっしゃった。
「そうだ。」
失礼,かしこまるなどを学んだ。(みさ)
学びは鬼の子は何で帽子をとったのか。私はわにのおじいさんにすてきな場所を見せてもらっておれいをしたいからだと思う。
きのうは,無形と有形のどっちがかちがあるのかを学んだ。私は無形にかちがあると思う。なぜなら,心やいのちがないと生きれないからだ。(三)
今日の学びは,きむら風ちゃんが問いをいって言葉を学びました。畏敬とか,失礼とか,かんしゃを学びました。
「失礼。」
とてもべんきょうになりました。こんどもいろんな言葉をしりたいです。(滉)
今日の学びを書く。なぜぼうしをとったのか。
私は,口ではいえないほどすごかったからと思っていた。でも先生は私の答えとちがった。だから私は,もっと学んだと思う。(り)
今日ぼくは,としうえの人がいたらただしいことばをつかうとまなんだ。
おにの子はゆうやけがたからものといった。
ぼくはさんせいにした。なぜなら,おにのこはただしいからだ。(人)
ぼくはぼうしをなぜとったのかの問題をやった。ぼくはいろいろなのをかいたけどいえないのもあった。
ぼくはきれいだからとおもうから。
なぜなら,かゆいからぼうしをぬいだから。
なぜならあいさつをやろうとしていたからだ。
先生がおっしゃった。れいぎがないから。あいさつをやろうとしていたんだ。
やなぎやせんせいはいろいろなことをおしえてくれた。(たく)
私はゆうけいとむけいは,どっちにかちがあるのか。私は,むけいだと思う。なぜならむけいは,さわれないけど,夕焼けは,むけいなのにこんなにきれいだからむけいのほうがかちがある。(歩)
学びは,なぜ帽子をとったのかだ。ぼくはうつくしいからだと書いた。
先生がおっしゃった。
「うつくしいはちがう。でもまちがいではない。」
ぼくはちがういけんをかんがえた。(将)
今日の学びを書きます。
さいしょに課題を考えた。木村風さんが言った。
「なぜ,ぼうしをとったのか。」
その問いが課題になった。
ぼくはこんきょを言った。
「夕やけをたくさん見たかったから。」
それはちがうこんきょだった。
ほかにもかしこまるとうやまうをくっつけたらいけいになるということもわかりました。(じ)
今日の学びは,なぜ,おにの子は,ぼうしをとったのか。私は,わにのおじいさんから,場所を教えてもらって,夕日が見えた。だから,夕日にむかってぼうしをぬいだ。そして,礼をしたと思う。
「先生は,畏敬がこの物語の主題だと思う。」
柳谷先生がおっしゃった。
私は,無形にかちがある。なぜなら,いのちとお金のどっちが大切か。お金と考えている人はぜんぜん,いみがわからない。
今日の学習用語は五つだった。1つ目は,感謝。2つ目は,失礼。3つ目は,畏まる。4つ目は,礼儀。5つ目は畏敬。ずっと,おぼえていたい。(茉)
わたしは,きょうこういうことをまなんだ。
「なぜおにのこはぼうしをとったのか。」
わたしはこうおもった。きれいだからぼうしをとったんだ。でも,ちがいました。せんせいがおっしゃった。
「夕やけにしつれいだからだ。」
このまえは,むけいとゆうけいは,どっちがかちがあるかをしらべた。先生がおっしゃった。むけいがかちがある。わたしのむけいのほうがあっていました。
これでまなんだことをおわります。(早)
今のまなびは,いろいろでした。くわしくゆうとなぜぼうしをぬいだのか。ゆけいとむけいはどっちがかちがあるのか。こたえはゆうけいです。,ぼくのまなびはたくさんまなんでいます。(平)
私のならったのは,おにの子のれいぎを学んだ。
鬼の子はそんなにお礼を言いたかったのからぼうしをぬいだのだと分かった。畏まると敬うをあわせたら畏敬と分かった。(里)
ぼくはむけいにかちがあると思った。
なぜならむけいはさわれないからむけいにかちがある。なぜならいのちがむけいだからむけいがだいじだ。だからむけいがいいとおもう。(大)
今日の学びは,なぜぼうしをとったのか。私はこれがたからものだ――と思ったからだと思う。
私は無形の方がかちがあると思う。なぜなら,夕焼けも無形だからだ。(恵里)
今日の学びは,なぜ,ぼうしをぬいだのか。ぼくはこう思う。いままでに一どもみたことがない。鬼の子は,夕焼けが宝物だと思ったかられいぎ正しくした。(り)
ぼくはいままなんだ。ぼくはすごくきれいな夕焼けだから鬼の子はぼうしをぬいだ。なぜなら,失礼だからぬいでわにに感謝しているから。無形にかちがある。なぜなら,夕焼けは形がないから。無形にかちがある。(拓)
きむらさんがいった。
「ぼうしのことがきになるから。」
でも私はかんがえてやっている。私はきょうの学びはぼうしのことだ。(み)
子どもの感性
教室に俳句を自由に入れてよいという箱があります。そこに夏から俳句がたまっていました。そこで,紹介します。書きたい子が書いているので,書いていない子もいます。
夏の海キラキラしてるきれいだな 茉
つゆあけに下を見ている人がいる
はるあらし風が吹いてる雨の日に
カレンダー今日もめくると初夏だった
空を見てほしが出ている七夕だ
ねむたいなうっかりしてた初夏だった
夜なのにきれいなにじがバラみたい
山の中秋風ふいたきもちいい
風が言う秋が来たよと教えるよ
青い海ほう石あるよ夏のこと
夕やけを山の上から見てみたい
赤とんぼいっぱいいるよ火の海だ
バラがさくなぜか光ってさいてるよ
またあした夕やけきれいまたあした
もみじがねおおきすぎて手ににてる 恵里
コオロギがチリチリないてうるさいな
いっちゃだめコオロギいくぞまっててよ
さようならながれぼしがねいっちゃった
上見ててあかりがともるぼんおどり
そらにいるきもちのいいととんぼさん
ふゆがきたゆきのけっしょうきれいだな
かきたべたつぎはぶどうをたべたいな
かみなりがおちてきたよとさけんでる
夏休みアイスクリーム食べたいな 純
ふゆいないなつにいるけどくわがたが
かたつむりしおをかけてねしんじゃった たく
蒼いそらきれいなようないちょうだよ
星の夜みんなでみてるうれしいな ひな
あかとんぼよぞらにとぶよまたあした
かぐやひめじゅうごやとおるひかってる
ゆうやけがぼんやり赤いうつくしい
歩いてたいきなりけ虫でてきたよ 竜
すず虫がよるにないてるうるさいな
東京に行ってみたらヒグマいた
あきの道あるていているとオバケでる みさ
一人でもみんながいるよ大好きだ 拓
すきなうみ日高でみたよ日曜日
歩いたらつかれるけれどおもしろい
冬なのにみかんを食べてさむくない 歩
どんぐりがころころころがるおもしろそう
きれいだなキラキラひかるよるのそら
十五夜がよくみえるよねきれいだな ひか
みかんがねとんでるみたいすごいかな
11月20日(月)
教室整理
さすがに,ここ2週間の集中には疲れた。集中して仕事をしているときには,疲れを感じない。集中が切れると,倒れそうになる。実はかなり疲れが蓄積しているのだろう。今朝は,なかなか起きられなかった。いつも通り7時30分には出勤して,いつも通りに授業を終えた。そして教室整理を始めた。これまで走り続けてきた数ヶ月に区切りをつけたいからである。今年は『作文力マスターカード』の執筆に始まり,『漢字マスターカード』で終わりそうである。一昨年は単著を刊行し,昨年は『国語学力マスターカード』を刊行した。今年は『作文力マスターカード』を刊行できるだろうか。刊行できたら,3年連続本を出版したことになる。有難い話である。さて,『作文力』の仕上がりがいつになるか,やや気になるところである。1月15日を原稿締切りにして,多くの方に御執筆戴いた。しかし,実際に集まったのは3月末である。その後,4月末まで私一人で校正を続けてから明治図書へお届けした。9月待つにはゲラを戴いた。10月上旬には校正を終えてお届けした。やはり2ヶ月では無理か。早くて1月中旬か。何とか1月12日の旭川での修業講に間に合わせたい。そんなことを考えながら,帰路を歩いていた。教室整理を終えて年末を迎えたい。これがなかなか進まない。放課後,子ども達と遊んでいたのも進まなかった原因である。かわいい子どもに囲まれている。
スカウト
教え子が札幌でスカウトされたらしい。本当ならうれしい話だが,疑った方が無難だろう。かわいい子だが,旅をさせたくないなあ。
11月18日(土)
『鍛える国語教室』(11)2006年秋号完成
274ページの秋号が完成した。丁合は5名で行った。午前中は原稿の修正などを行い,午後から印刷を行った。子どもの氏名を消す作業とか,ページの台紙に郵送で戴いた玉稿を貼る作業などを午前中に冨樫さんと釜谷さんにして貰った。有難い。12時くらいから印刷機を動かし出し,3時過ぎまでかかった。274ページなので,2時間以上かかった。しかし,丁合・印刷で5時までには終了した。予定通りである。
玉稿をお寄せ戴いた皆様に心から感謝申し上げる。がんばって作文を書いている子どもにも感謝する。がんばったお礼として,クリスマスでは盛大なパーティーを行おう。企画は子どもが考えている。
『鍛える国語教室』の申込みを受付ける。
丁合後は,5名で打ち上げをした。教育談義に花を咲かせた。教育を語り合うときは私にとっては嬉しいときである。夢のような時間を過ごした。
11月11日(土)
『鍛える国語教室』2006年秋号を編集中
多くの方から実践原稿を寄せ戴きたいです。月曜日までなら間に合います。お待ちしております。
原稿執筆も教師修業の一つです。自らの実践を整理し,振り返りましょう。そして,さらに自らの授業を向上させましょう。
昨夜,24時少し前に電話がなりました。こんな遅くに誰からだろうと訝しく思いました。たまたま起きていた私は受話器を取ろうとしました。するとファックスでした。
これは野口芳宏先生からでした。何と秋号の原稿をこんなに遅くに送信してくださったのです。
「柳谷先生 よろしくお願いします。「こまち」の車中で書き上げました。11/11は名古屋で帰りは夜の11時過ぎになります。野口」
有難い師です。これで巻頭論文が完結しました。
宇佐美寛先生からの校正も届きました。あとは拙稿を整理して,ページを入れるだけです。
今日はなぜか,研究業績を整理していました。HPにUPしました。これまでの執筆の機会に,感謝しながら作業を進めました。
現在16時を過ぎました。これから,『鍛える』の編集を再開します。執筆の機会は有難いし,楽しいものです。
花田修一先生からの執筆依頼
昨夜,食卓の上に積み重なっていた新聞を読んでいました。すると中から,明治図書の封筒が出てきました。見たことのない書名からが宛名にありました。『ここをを育む国語科授業を創る――言語形式と内容の一体化をめざして――』(小学校編)です。来年の7月に刊行されるようです。早速快諾のお返事を明治図書へ郵送しました。説明文指導の中学年での依頼原稿です。また,勉強させて戴きます。
11月9日(木)
『鍛える国語教室』2006年秋号(10)編集中
本日,野口先生から巻頭論文の前編を頂戴しました。『作文授業における「学習用語」の扱い』です。
今11号では,宇佐美先生からの学習用語に対する御意見も頂戴しました。
野口先生は巻頭論文で学習用語の指導法を書いてくださいました。
いずれも言語技術教育を考えていく上で,貴重な論文です。
このような学びの機会に感謝しております。
2006年秋号,11の申込みを受付けます。御希望の方はメールでお申込ください。お待ちしております。
今回も200ページを超える大作です。1冊2000円でお譲りしております。
11月8日(水)
総合的な学習の交流会授業公開
今日は『課題解決交流会〜発表し,評価し合おう〜』の授業を公開しました。
指導案は50ページになりました。昨夜完成させ,印刷丁合し,配付しました。釜谷さんに丁合をお手伝い戴きました。有難うございます。
授業記録も釜谷さんが打ってくれたので,近くアップします。秋号に指導案全部を入れようと思っています。50ページは多すぎるかな。4年間の私の総合的な学習に対する情熱の集約です。礼状・依頼状も入れてあります。不要かとも思いましたが,これはこれで一つの言語活動の叩き台になると思い載せました。
授業では,子どもがよく話し,よく批評し合っていました。すばらしい子どもです。学習発表会後,約1週間という短い時間でしたが,個人の課題を調査させ,ポスター・セッションを批評させ合う段階まで至らせました。このような情報交流をどんどんさせて,批評し合う学級集団にしたかったので,私の授業の一つの完成形です。
学年の釜谷さん,斉藤さんをはじめ,子ども達に感謝した一日でした。すばらしい学校で働ける有難い日々です。
11月5日(日)
原稿執筆
昨日は終日『言語技術教育16集』を執筆していた。『基幹学力研究会編「聞く・話す・読む・書く4Rsを育てるスモールステップ」明治図書』の書評である。1ページの原稿だが,1日かかった。ほんとに遅筆だ。もう少し生産性の高い作業能力を身に付けたい。著者の間嶋哲氏は算数で有名な方らしい。この書自体も算数の内容がほとんどである。
なぜ,『言語技術教育』の中でこの書が紹介されるかわからない。江部満編集長の深いお考えがあるのだろう。私はよくわからないまま書いてしまった。『言語技術教育』という本は日本言語技術教育学会の紀要である。したがって,本の紹介ではなく,きちんと批評を書くべきである。そこで,少し辛口に書いた。基幹学力研究会の考え方に対する異論があるわけではない。目的に至る本の書き方,実践の一部に対して批判した。
確かに算数と国語を一緒に研究するのは悪くは無い。しかし,国語だけでも,考え続けてもよくわからないのに,国語と算数の両者を扱うのはなおさら荒くなるだろう。私は1997年3月に野口先生とお話しさせて戴き,それ以来10年間国語を考え続けてきた。それでもまだよくわからない。わからないからおもしろい。この謎解きのようなおもしろさは死ぬまで続くのだろう。
今日は『鍛える国語教室』2006年秋号(11)の宇佐美寛先生の玉稿を打たせて戴く。これで一日かかるだろう。水曜日の総合の公開授業用の指導案は今日は書けないだろうから,明日の仕事にする。平日に指導案を難なく書いていたのは数年前までである。最近は,平日の帰宅後はほとんど仕事にならない。へとへとになる。しかし,明日は総合の指導案を書こう。今日は『鍛える』に集中する。
今朝は大内善一先生から原稿の件でお電話を頂戴した。難波博孝先生からはメールが届いた。大谷和明先生からも連絡を戴いている。清野隆先生,渋谷孝先生,宇佐美寛先生,庭野三省先生からは早々に頂戴している。花田修一先生,鶴田清司先生からはまだである。今日,連絡を戴けるだろう。実践は,関屋法生先生から頂戴した。あとは無い。これで40ページくらいである。あと160ページくらいほしい。私も書きたいことはたくさんあるが,時間が少ない。釜谷さんの記録してくれた授業は2本完成している。これで20ページくらいである。釜谷さんと齋藤さんの作文の授業を私が清書しようと考えている。これで20ページである。5年生の飛び込み授業で10ページくらいか。他にも論破とかお手紙とか書きたいことはたくさんある。日記を書いていないで,どんどん執筆しよう。
11月3日(金)
『鍛える国語教室』空知ゼミ第28回例会報告
2006年11月2日(木)第28回鍛国研空知ゼミ例会を行った。
お子様11名,保護者3名,教諭8名の22名で学び合った。(御参加戴いた皆様に,心から感謝申し上げます。昨日も有意義な学習会を行うことが出来ました。)
以下,概要報告である。
1 インタビューの授業(柳谷直明)
『確かな国語学力を育てるマスターカード 5年生用』の「インタビュー」で授業した。2枚目の全員音読,1人音読,学習用語指導,2人練習で褒め合う,右ページで2人練習,相手に自分が調査したい職業になって貰いメモ無しでインタビューする。10分間くらいで終了する。
2 作文力マスターカードの授業(冨樫忠浩氏)
15分くらいで全員に作文を書かせて発表させる。洗練されてきた。『作文力マスターカード』授業の典型と言える。強いて言えば,全員音読の際,教師の読みの速度がやや遅い。教師が一緒に音読するのは,一緒に音読する必要があるからである。子どもだけでは音読できないから教師が一緒に音読する。したがって,子どもの音読を微妙に引っ張る速度がほしい。何も,速く読むというわけではない。子どもの音読の常に少し先を行く速度である。物語を読む際の音読速度と説明文を読む際の音読速度は違う。たぶん冨樫学級の子どもの音読速度は全体的に遅いのだろう。その速度に冨樫氏が慣れてしまったのだろう。私には違和感が残った。さらに言うと,取材メモでの設問を読んでいない。設問を読み,学習用語を指導するとラベル欄に書く言葉がわかる。すると,それをいちいち口頭で言わなくてもよい。今回も言ってはいなかったが,初めて書く方はよくわからないだろう。さらに,ラベル欄のいくつか,ブランチ欄のいくつかを板書すると,子どもはそれは見て書くこともできる。前回より時短化された。2月の国語修業講(旭川会場)での模擬授業が楽しみである。
3 要約指導(成瀬聡氏)
今回は全文要約の授業化である。説明文を体言止めで要約する授業である。文字数制限が無いので,私は冗長に要約した。今回で要約指導を終了すると言っていた。次回から何が登場するか楽しみである。10分間くらいで終了した。
4 PR作文指導(太田等氏)
別海の太田氏が参加された。PRスピーチ例の音読,メモとの比較,そしてメモ,作文の記述である。スピーチ指導では原稿を書かせない。だから,スピーチ指導として原稿用紙に書かせるのではないだろう。しかし,PR作文から作文指導に持って行く方法である。何も見ないでスピーチを行い,そのスピーチの通りの作文例を配るとみんなが驚いておもしろいなと思った。別海という広大な地域は,大いにPRして貰いたい。そらちゼミ例会での初授業だった。太田氏の参加には,大いに刺激を受ける。太田氏の姿を拝し,襟を正して学び直す決意をした。2月の授業講(旭川会場)では,『国語学力を育てるマスターカード』での授業を行って貰う。
5 三段論法の作文授業(矢田広和氏)
三段論法を指導した。それで作文させた。きちんと意味が通じるかを全員の拍手で評価させた。おもしろい作文授業である。大谷氏はA=B,B=C,よってA=Cの形を代案として授業された。矢田氏はA=B,C=A,よってC=Bの展開だったからである。いくつかの型がある。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』にはこうある。「三段論法(さんだんろんぽう ギリシア語 syllogismos)は、「大前提」に法則的に導き出される一般的な原理を置き、「小前提」に目前の具体的な事実を置き、「結論」にそこから導き出される答えを置いた「大前提」「小前提」「結論」の三つの命題から成る推論規則である。アリストテレスによって整備された。以下に三段論法の例を示す。大前提:すべての人間は死すべきものである。小前提:ソクラテスは人間である。結論: ゆえにソクラテスは死すべきものである。」論理的思考を鍛える授業として考えてみたい分野である。
6 詩歌マスターカード(釜谷いずみ氏)
体言止めを指導するマスターカードを完成させた。文末を削除して体言止めを指導する教材である。「AをBに書き換えました。どこをどうしたのでしょうか。」このような設問で,散文と詩の違いを確かめさせた方がよいか。そして,左には散文を書いておき,それを体言止めにする練習をする。2枚目でメモ,散文の下書き,体言止めの清書を右左のページで2回させるのがよいか。上段がメモと下書き原稿用紙,下段はただの原稿用紙にする。このような教材開発に私も取り組みたい。教材開発の努力に感謝する。1月の私の模擬授業では,直喩と隠喩のマスターカードがほしい。例は『私の家族』とする。文例Aは散文で,文例Bは直喩の詩にする。文例C,D(いずれも散文)を左ページの上下段に書き,それを直喩の詩にさせる。2枚目の本番でメモ,散文,詩として書かせる。2枚は同一の形式になるが,仕方がないだろう。隠喩マスターカードは文例Aは直喩の詩で,文例Bは隠喩の詩にする。倒置マスターカードでは,直喩マスターカードの文例Bを倒置にさせる。擬人法マスターカードでは,当たり前の散文を擬人法に書き換えさせる。疑物法マスターカードでは,家族を物に喩えさせる。これらはおもしろい教材になる。釜谷さんの授業で久しぶりに発想が豊かになった。
7 市販テストの答え方(柳谷直明)
問い,ヒント,答えを読ませる授業を行った。これは第8回国語修業講(旭川会場)で公開する。
8 体言止め,語彙指導(大谷和明氏)
釜谷氏の教材から,他の体言止めを作る授業を行った。全ての行尾を「猫」で終える書き換えである。書き換えはおもしろい。書き換えをどんどんさせて,表現力を鍛えていきたい。さらに,『大きなかぶ』での「甘い」と「大きな」の違いを授業化した。科学的冷徹読みを披露した。
終了後,8人で『かわ兆』へ行った。文学教材の読みをどこまでさせるかという議論になった。もちろん書かれていない範囲も読ませるが,作者をどう扱うかという議論である。作者が言いたいところまで推測し,その上で指導者としてどこまで授業で扱うかを考え続けたい。
次回は11月17日(金)に行う。多くの皆様と一緒に学び合いたい。