小学一年生「感想文」
小学一年生の作文
岩見沢市立美園小学校 柳谷直明
1 久し振りの理由
二年間,道教委の派遣で大学院へ通わせて頂いた。二〇〇三年春,修了した。
二〇〇一年度は大学だけへ通っていた。二〇〇二年度は学級担任をしながら修士論文を書いた。月曜と水曜の勤務後に大学へ通った。
昨年の今ごろ(二〇〇二年一二月)は勤務の日でも,毎日八時間くらい修論を書いていた。通勤前四時間,帰宅後四時間である。冬休みに入ってからは毎日一五時間くらい書いていた。そして一月一四日の締切り一時間前に提出した。今では懐かしい思い出である。
そんな状態だったので空作研の原稿を久し振りに書く。
2 近況
池田徳行氏から一二月一九日にお電話を頂いた。本稿の依頼である。締め切りぎりぎりなので,どうしようかと電話口で迷った。しかし先のような事情から久し振りの執筆である。そこで快く承諾させて頂いた。
今年度は初めての一年生担任である。1学期から作文を書かせてきた。「手紙」,「説明文」,「日記」,「絵日記」,「物語」,「感想文」などを書かせた。
これらの指導実践をこれからまとめるには時間が足りない。休業中に出勤する予定もない。したがって印刷することができない。資料が揃っている自宅で研修するからである。
そこで詳しい指導法を次の研究会に譲る。二月八日(日)に札幌のホテル・ユニオンで開催される『国語修業講』である。
野口芳宏先生を迎えての研究会が行われる。私はそこで「書くこと」の「提案授業」をする。日常実践を紹介する予定である。
問い合わせ先は私のHP『言語教育への道』にある。学びたい方は御参加頂きたい。
(http://www.phoenix-c.or.jp/~naoir/)
更に一月,明治図書から『〈学習用語のカテゴリー化〉で〈国語学力〉を育てる』という本を刊行する。多くの皆様のおかげである。
主に大学院で学ばせて頂いた先生方を始め野口芳宏先生,そして江部満編集長のおかげである。修論の一部が本になるからである。しかし国語研究を本格的に始めるきっかけの一つが空作研だった。心から感謝している。
拙著で「作文指導」に必要な〈学習用語〉を提案した。小学校六年間で扱うことができる三三六の「言語活動」例とそれを適正に成立させるための〈学習用語〉である。『小学校国語科〈学習用語〉体系案』として提案した。
小学校国語科で何をどう指導するかの問題解決である。こちらも御覧頂きたい。現在は小学校六学年分のワークを作成している。言語技術を育てる国語ワークである。(是非,書いてみたいという方がいらっしゃったらメールを頂きたい。先のHPから送信できる。)
このような状況なので,これまでの具体的な指導法を本稿で言及することはできない。しかし私が担任している一年生の作文を紹介する。そこには,これまでの私の指導の蓄積を読み取ることができるからである。すると少しは拙稿も皆様の役に立つことになる。
3 指導なし宿題作文
二学期の終業式に一年生が作文発表をする。その発表者を決めていなかった。作文はいつでも書かせることができるからである。しかし,終業式三日前となっては作文を書かせる時間がない。そこで宿題にした。こう言った。
「皆さん,宿題を出します。二学期は,ほとんど宿題を出しませんでした。しかし今日は出します。なぜなら終業式の日に二組の誰かに作文発表をしてもらうからです。二学期にがんばったことや楽しかったことを書いてきてください。」
いまだに書き方を指導しないで,夏休みの宿題に読書感想文を書かせている学校がある。このようなことを「活動があって指導なし」と言う。こんなことをするから読書嫌いになる。以前から指摘されていることである。
このように作文の宿題を出すことに対して否定的な私だが,作文を宿題に出した。なぜか。この子たちは書けるからである。
適正に書けるようになった子供にとやかく指導する必要はない。うるさいだけである。一年生で適正な作文とはどのようなものか。修正していない。そのままの文章を載せる。
4 学習者の実態こそ重要
子供の作文からその子の実態を読み取ることができる。それを本稿で実践してみる。そこで子供の作文から気づいたことを書く。
なぜ子供の作文から実態を読み取ることができるのか。例えば大内善一先生はこう言う。(『思考を鍛える作文授業づくりー作文授業改革への提言』明治図書,一九九四年六月。一二五ページ。)
作文の基礎能力は,子供の書いた作文の中に立ち現れている。
子供の作文に,その指導する必要性を読み取ることができる。まさにその通りである。
いくらこれまで指導してきた私の教え子でも一年生である。更に指導する必要な事項はあるはずである。そこで子供の作品から私が気づいたことを書く。
これは単なる評価ではない。指導の必要性だけを探るのであれば評価である。しかし評価だけでなく子供の作品と対話するつもりで書く。そうした無駄話から,皆様の参考になることがあるかもしれないからである。
5 子供の作品と指導者の気づき
(なお子供の名前を書かない。それぞれ漢字を使って書いているが,柳谷が省略した。)
二学期のこと
〇〇〇〇
たこづくりをがんばりました。
たけひごをつけるのと糸をむすぶのがむずかしかったです。
先生のはなしをきいてうまくつくることができました。
とてもたのしかったです。
二学期のこと
〇〇〇〇
かだいちょうさをがんばりました。
パンのしゅるいはなぜたくさんあるのかをいろいろしらべました。
ノバの人にききました。
ほかにケーキやさんなどでしらべてがんばりました。
同じ子の感想文である。読点がなくて読みやすい。読点は最少限度でよいという私の指導事項をよく身に付けている。丁寧な文字を紹介できなくて残念である。
一年生にインタビューを指導して調査へ行った。課題は各自の問いから作らせた。生活科の実践である。この子は調査後に,自分でケーキ屋さんへ行き,更に調べた。
二学期がんばったこと
〇〇〇
二学期がんばったことは,かん字をおぼえたことと,けい算を,したことです。
かん字は,じぎょうちゅうにかきじゅんをおぼえました。
いえで,お母さんに,もんだいをだしてもらいました。
けい算は,いえでドリルをたくさん,やりました。
冬休み中も,3学期も,もっとたくさんかん字をおぼえてけい算もはやくおぼえるのをもくひょうにしてがんばります。
小段落を身に付けている。そんなにがんばらなくてもよいと声をかけている子である。
「書き順」と私が言っているのだろう。正しくは「筆順」である。読点が多い。
「3学期」を漢数字に統一させたい。
抽象的な話題(漢字,計算)から具体的な話題(授業中,家)へと砕いている。論理的な構成である。
2学期のこと
〇〇〇〇〇
がんばったことは,国語のかん字です。
国語の時間,真けんにべんきょうしました。
とくにむずかしかったかん字は,馬です。
楽しかったことは,図工のねん土です。
ねん土でかめをつくりました。
つくっている時,とても楽しかったです。
こんどはちがうものを,つくってみたいです。
「馬」は第二学年の配当漢字である。駒園という地域に住んでいる子がいるので「馬」の筆順を指導した。保護者にも指導した。
野口芳宏先生がおっしゃるように一年生からどんどん漢字を使って板書している。(もちろんルビを振るが。)二学期末の業者テストでの漢字書き取り二〇問では学級平均点九四点だった。国語テストの表は学級平均点八〇点台である。読解力(何を書き抜くかの読み取り)の向上には時間がかかるようである。
子供たちは,六年生配当漢字(樹や仁など)を黒板に書いて遊んでいる。作文にある「真」も第三学年配当漢字である。
二学きで楽しかったこと
〇〇〇〇
二学きで楽しかったことは,こくごのテストです。
あとは,さんすうのテストもがんばりました。
でも,こくごのテストのおもてが90点を二回とって,とてもくやしかったです。
でも,うらは100点だけど,おもてはちょっとだめだなあっとおもいました。
またこくごのテストのときにおもてのテストをがんばります。
でも,さんすうのテストはおもてもうらも,全部100点でした。
こくごもがんばります。
一年生はよく勉強する。それだけにテストの点数が気になるようだ。
私の指導の結果としてテストの平均点を公開している。だからといって100点にだけこだわっているわけではない。
算数テストの学級平均点は,ほとんど九〇点を超えていた。
「でも」が多い。「でも」を削るとよい。
がんばったこと。
〇〇〇〇
二がっきでがんばったことは,がくしゅうはっぴょうかいです。
がくしゅうはっぴょうかいでがんばったことは,じょうずにセリフをいえたことです。
二がっきでたのしかったことは,みそのまつりです。べっこうあめがおいしかったです。
スーパーボールすくいでいっぱいスーパーボールをとれました。
プラバンもたのしかったです。
来年もたのしみです。
抽象と具体の関係ができている。これは,スピーチ指導の結果だろう。スピーチでは,抽象と具体(この用語は使っていないが)の関係を何度となく指導している。読点が少ないのもよい。題名の句点は不要である。
一年生は何も準備することなく「美園まつり」に参加させてもらった。三年生以上が準備してくれた。したがって自分たちではできないことがたくさんあった。しかも学校で遊ぶことができた。楽しかったのだろう。
がんばったこと
〇〇〇
一学期のがんばった,事は,国語のテストと,算数のテストです。
とくにむずかしかったテストは,国語のテストです。
本の文章をよむのができました。
おもしろかったことは,みそのまつりです。
おばけやしきです。
おばけやしきのこわさがおもしろかったです。
おばけやしきのこわさをまなびました。
おばけやしきは,こわいとわかりました。
三学期もがんばりたいです。
三文目のつながりが分からない。
「事」は平仮名が適当である。教師でも表記が適当でない人がいる。用語表記辞典を持つべきである。「章」も第三学年配当漢字である。指導したかどうか忘れたが,板書ではよく書くのでおぼえたのだろう。賢い子である。
2学き
〇〇〇
2学きでたのしかったことはどんぐりひろいです。
なぜかというと,どんぐりひろいのちかくではことかこめぶくろですべったりしたことです。
がんばったことはこくごのししゃです。
うれしかったことはとびばこが,ごうかくしたことです。
かなしかったことはさいしょのおにだこがまちがってしまったことです。
でもあとからできたからうれしかったです。
敬体に統一されている。「たのしかったこと」,「がんばったこと」,「うれしかったこと」,「かなしかったこと」を並置していて分かりやすい構成である。下線部は「から」にしたい。
大学からの帰りにどんぐりの木を見付けた。そこでどんぐり拾いに行った。
この子は視写を毎日何ページも書いてきた。その物語を私が給食時間に読んだ。この子たちのほとんどが一分間に二〇字以上を書く。速い子の数名は四〇字を超えている。
6 原稿依頼に感謝
楽しい依頼になった。子供の作文をじっくりと読むことができた。また学びが一つ広がった。このように子供の作文から,その子にとっての指導事項を読むことを心掛けたい。
『教育科学国語教育』二〇〇四年三月号に授業論を書いた。そちらも参照して頂きたい。